今だから言えるんですが、息子は医療にも恵まれていた方だと思います。そもそも自閉症のような障害児者が医療とつながることは、実は結構大変なんです。

まず、病院に行くことすら大変、拒否やパニックを起こしたり、周りに迷惑をかけてしまうかも知れないという恐れ、治療自体が難しいなどから、大人になっても医療が遠い存在になっていて、諦めている人すらいるくらいです。

そういう事情からか、時々、どうやって今のクリニックに落ち着いたのか、病気やケガのときはどうしていたのか、拒否は? パニックは?? など聞かれることがあります。

超パニック持ちの上、飛び出し注意、取り扱い注意の息子の病院通い、注射に点滴、はたまたMRIなんてどうやったの?? 大丈夫だったの?? と興味津々な人もいたりして(笑)

26年間、重度の自閉症の息子を育ててきた上で、どうやって医療と向き合ってきたかを数回に分けてお話していこうと思います。

どこでどうやって障害を診断されたのかも、話題に上がるひとつです。

ということで、今回はその1回目。障害が診断されて医療とつながるまでの道のりのお話です。

1才には障害を確信! 

大嵐の日に仮死状態でこの世にやってきた息子。予後悪かったようで10日後に総合病院に運ばれるも、NICUにいながら「来るのが遅かったからすることなし!」で約一ヶ月後に退院。NICUには毎日通いましたが、思えばこれが息子初の入院です。

とにかく、今後の発達に注意を払うようには言われましたが、それを相談できる場所につなげてもらうまでには至りませんでした。

7ヶ月が過ぎ、首すわりもお座りも問題なし。でも、手の反射が消えない、変なハイハイをする、1年が過ぎる頃はダストボックスのフタを延々揺らして遊ぶ、視線が合わない、無表情……私の中でしまった感がどんどん増幅されました。

1才半検診で、遂に私は家族にも言わなかった一言を保健師さんにぶっちゃけます。

「この子、障害があるんです〜!」

えぇ〜っ!? となった保健師さん。「いやいやいや、2才まで待ってみましょうよ!」と、逆にいさめられました。

さて、2才の誕生日を過ぎる頃、保健師さんはちゃんと訪問してくれました。それで、やはり発達に遅れがあるということで、当時地域に唯一の「就学前母子通園事業」の訓練施設を紹介してもらい、通うことにしました。

しかし、その母子通園事業にはパイプがなかった! 医療も、発達支援の専門家も、そこからつながる方法がなかったんです。

そもそも、地域に子どもの発達を専門的に見れる機関はありませんでした。通園事業は、集団で日常の動作訓練を親子で学ぶ場所であり、身体に障害がある子達で医療が必要な子たちは、みんな少し遠い大学病院か、県外の病院に通っていました。

かれこれ25年前の田舎はそんな感じでした。見た目に身体の問題はない、けれど知能の発達が遅い、行動がおかしいと病院に相談できることも、誰も教えてくれませんでした。

どうすればいいのか、通園事業の先生達ですら知らなかったのだと思います。誰からも「児童相談所に行ってみたら?」なんてアドバイスもなく、情報を得ることが本当に難しい時代でした。 

初めて「障害がある」と伝えられた瞬間

お手上げ状態でずっとモヤモヤしていた頃、旦那が「息子つれて(某テレビ局)に行くぞ!」と言ってきました。

はい? 何のイベント? と聞くと、それは「言葉の遅れがある子どもの相談会」でした。

それをラジオで知ったらしく 、その時息子は3才を迎えようとしていました。言葉も全く出ていませんでしたが、その相談をテレビ局でやってくれるというんです。その時の旦那の行動も早かった。やはり、旦那もずっと、モヤモヤとしていたみたいでした。

相談当日、テレビ局の一つの部屋に、言葉が遅いのであろう子ども達と親達が集められ、こんなに悩んでいる親達がいるんだ……と少し驚きました。

そして遂に順番が回ってきて、息子を保育士さんの見守りのもと隣で遊ばせながら、精神科の医師との個人面談をしました。

その方は女医さんで、息子の常同的に遊ぶ姿を見ながら私達に優しく話しかけて下さいました。その時、こう言われたんです。

「息子さんは障害の入り口にいます」「これから、彼の成長の手助けをしていかなければなりませんよ」と。

そして、良い医者を紹介しますね、とその場で大学病院宛に紹介状を書いて下さいました。

その時が初めて「障害がある」と伝えられた瞬間でした。

やっとはっきりした! という思いと、少し沈んでしまった心と、複雑な思いが交錯しました。でも、それまでどうすれいいか分からなかった「専門医とつながる」ということはできたんです。

これから頼れる人ができたことへの安心感は、やはり何よりも大きかったと思います。

ところで後で分かったことですが、女医さんはかなり有名な精神科の先生だったようです。

その帰り際に、テレビ局の隣にある大きな公園に立ち寄ってしばらく散歩をしました。そこの出店でホットドックを買い、三人で分けて食べました。その公園にはたくさんの人が散歩やジョギングをしたり、学生達が談笑しながら楽しそうに歩いていました。

旦那はその学生達を見ながら「息子には、こういう時期が来ないんだなぁ」と思った……と、もう随分年月が経って話してくれました。

こうして出会った先生は、小児脳神経外科の先生でした。若くて優しい、見るからに子どもを好きそうな先生で、その先生から初めて「広汎性発達遅滞」と診断されました。

モヤモヤがなくなって、ここから医療とのお付き合いが始まることとなります。そして、児童相談所のことも教えてもらって、やっと療育手帳を取得したのがそれから更に一年後のことでした。

もし今、子どもに障害があるかも知れないとモヤモヤしていたら

今は情報社会です。しかも昔よりも専門家は増えていますし、訓練施設も情報は持っています。もし一人でモヤモヤしていたら、役所でもセンターでも児童相談所でも、福祉と名の付いたところであれば、とにかく連絡してみて下さい。ここは管轄が違うと断られるんじゃないかとか考えず、地域の公的な福祉関係なら全てつながっているので、連絡したところが一番必要なところとつなげてくれます。

医療については、学校が情報を持っていることもあります。ただ、一般の学校の支援級は少し難しいかもしれません。その地域の特別支援学校であれば、情報はあると思います。

しかし、予約待ちでいっぱいということもあり、すぐに通院ができないという現状が問題にもなっているようです。

確実に先の予約を取って待つ人もいれば、予約を取りつつ別の病院も探しているという人もいるようですね。最近話題の医師不足についても、こうなると実感せざるを得ないのが現状です。

《つづく》

次回は、成長につれてどんどん問題行動が激化していく中、医療との向き合い方も少しずつ変わっていったお話です。