前回の〜未就学療育編〜に引き続き、ご寄稿頂きました。今回は、小学校に入学して出会った、交流学級の担任の先生のお話です。

重い障害を持ったわが子を地域の小学校に入学させたことに、お母さんはこう語られています。

「地域の方に息子のことを知ってもらいたいと思った。それは、お世話をしてほしいのではない。ただ、地域の一員として、知ってほしかったのだ。」

この言葉に気付かされるのは、障害を持って生まれてきた子ども達が、普通に生まれた地域で育ち、地域に受け入れられるということの難しさです。生まれた地域で、他の子ども達と同じように受け入れられ、同じように共に育つことを難しくしているものの『正体』は何なのか。

このお話には、ひとつの答えが書いてあります。

そして、その学校には、お母さんの願いこそ、全ての子ども達の教育になると信じて頑張る先生がいました。

「苦手なことや、得意なことがそれぞれちがうお子さんがいます。小さなトラブルもあるでしょうし、手がでた、された、ということもあるかもしれません。そこで子どもたちも学んでいくし、お互い様です。お互いに理解しあいながら学校生活を送って行きましょう。」

先生の熱い思いが言葉になって発せられています。

ある日、事件が起きます。その時、お母さんは普通学級の子どもも障害を持ったわが子と同じではないかと気付きます。しかもその原因は、地域で共に育つことを難しくしている『正体』に他ならないのではないかと。

事件を受けて、先生からある提案を受けたお母さんは、ある行動を起します。それは子ども達に大きな気付きを与え、子ども達の感想として語られています。

先生は、その全てのコーディネートをされたのです。「わからない、しらない」を「わかった、しっている」に変えるために。

こんな素晴らしい支援者がいたら、きっと学校は変わる! 地域が変わる!

ぜひ、みなさんの感想やご意見をお聞かせ下さい。

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(寄稿)

【私の出会った素敵な支援者②〜小学校交流授業編〜】

重度の知的障害を伴う自閉症の息子は、地域の小学校の支援学級へ入学した。まだ、トイレに自分で行けないし、言葉もしゃべれなかった。周囲は、そんな息子が、健常の子どもたちと学ぶことに対して不安がり、否定的だったが、私は地域の子どもたちと分けられることに違和感を感じていたし、地域の方に息子のことを知ってもらいたいと思った。それは、お世話をしてほしいのではない。ただ、地域の一員として、知ってほしかったのだ。

息子の入学式は、他のお子さんがスーツで決めているところ、赤のトレーナーで参加した。スーツは用意していたものの、襟付き、ボタン付きの衣服は受け付けてくれず、当時、拘りだった「赤色」のトレーナーを着て参加することになった。一生に一度の晴れの日に、他のお子さんと同じようにスーツを着せたい気持ちもあったが、結果的に、集合写真ではとても目立っていたので良かったのかもしれない、と思っている。

入学後、息子は支援学級に在籍したが、交流学級のクラスが決まり、そこで担任のT先生と出会う。とても優しそうで、凛とした雰囲気のある女性の先生で、以前支援学級を担当していたという。入学初日のクラスの挨拶で、T先生はこんなことを言っていた。「苦手なことや、得意なことがそれぞれちがうお子さんがいます。小さなトラブルもあるでしょうし、手がでた、された、ということもあるかもしれません。そこで子どもたちも学んでいくし、お互い様です。お互いに理解しあいながら学校生活を送って行きましょう。」もう、15年くらい前の話。
記憶も定かではないけれど、こんな話しをされていた。

当時から息子は、不安になり、周囲に噛みついたり爪をたてたりする行為が時々見られた。そのことについて親としては、周囲に迷惑をかけるのではないか、という不安もあった。T先生はなにも仰らなかったけれど、そんな気持ちへの配慮だったのかもしれない。

入学後、ある事件がおこる。
1年生は、入学後しばらくの間は集団下校をする。昇降口で靴を履いたあと、地区ごとに整列して挨拶をして帰る、という流れだ。登下校は、母である私が送り迎えを行っていて、その日も息子と一緒に列に並び、帰る順番を待っていた。待ち時間の間、隣に座っていた子が、息子の手を踏んだ。偶然ではなく、意図的にやったことは明らかだった。「この子、喋れんけど痛いんよ。」と、静かに声をかけた。おとなしそうな子。息子がどんな反応をするのか見たかったのかな?その子の抱えているものも何かあったのかもしれない。ストレスは時に、より、弱い人へむけられることもある。

この日の出来事を、学校へお話しした。先生方の間で、大きな問題として扱われた。絶対に許してはいけない、という見解だった。問題として取り上げてくださったことや、息子への配慮はありがたいと思ったのだが、何か違和感を感じていた。息子の手を踏んだAくんはなぜそのような行為におよんだのか?きっと、何か理由がある。「どんな反応をするか見てみたかった?」「自分のイライラを発散させるためにやった?」いろんなことを想像した。それは、立場を変えれば息子と同じだった。「わからない、しらない」ということが、このような行為に至ったのかもしれない。

この出来事について、交流学級担任のT先生は大変ショックを受けていた。そして怒りも感じていたようだった。T先生から謝罪の言葉をいただいた時に、私の想いをお伝えした。「A君は、息子のことをわからないから、不思議だったから反応を見たかったのではないでしょうか?自分の気持ちをうまく伝えられずに、あのような行為に及んだのではないでしょうか?」
後日、T先生から提案をいただいた。クラスの子に、息子の話をしてほしい。Dちゃんも、みんなと同じ、お父さんとお母さんから愛されて生まれてきたんだよ、ということを話してほしい、ということだった。
先生も、自閉症の子どもをテーマにした絵本を教材として使って、小学1年生の子どもたちに話をする、ということだった。

息子は時々パニックを起こすことがある。周囲に理解されない行動もたくさんする。学校生活を送る上で、息子のことをより知ってもらう、良い機会になると思い、私は子どもたちの前で話をすることを快諾した。

T先生と何度か打ち合わせを重ね、小学校1年生にもわかる内容で当日の準備を進めた。生まれたばかりの頃の写真、家族との写真、療育先で頑張っている写真、などを準備し、息子の特性や、どんなときにイライラがおこるのか、イライラしてかんしゃくやパニックを起こしたら、周囲の子どもたちはどう行動したら良いのかをイラストに描いて準備をした。

授業当日、子どもたちは思いのほか真剣に聞いていた。小学1年生の理解がどの程度なのか、不安もあったが、本当によく聞いてくれた。「Dちゃんは言葉もしゃべれないし、時々おこったりするけど、僕たちと同じだと言うことがわかりました。」何人かの子が感想を述べてくれた。

その後の学校生活で、いろんなトラブルもあったが、言葉がなく、周囲からみたら不思議な行動をする息子の気持ちを読み取り関わってくれる子どもたちに支えられて、なんとか6年間を地域の小学校で過ごし、卒業することができた。

先日ばったりT先生と再会した。当時から15年ほど経つが、お変わりなくお元気そうだった。現在はとある小学校の管理職としてお仕事をされている。
再会して当時の話になった。当時のAくんとの出来事に大変ショックを受けて、許せないと思ったこと、怒っていても解決にならないから、どうしたら子どもたちに伝えられるかを考えたこと。それから、あの時の授業に繋がったこと。今でも、あの出来事や授業は覚えていること。

T先生が仰っていた。地域の理解は随分と進んできた。地域の学校の特別支援が地域の中で当たり前になってきている。みんなの意識を変えるためには、なぜ彼らがともに学ぶのか、ということを、私たちが伝えて行くことだ、と。

私は今、地域で障がいのある子どもたちと関わる仕事をしているが、T先生と同じ地域で子どもたちと関わらせていただいていることを、心強く、ありがたいことだと思っている。

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