低機能最重度自閉症と診断されている我が家の息子。言葉も持たない息子は、知能も低すぎて測定不能だそうです。

赤ちゃんが発達して獲得していく生活能力、言葉を発したり、トイレだったり、手を洗うとか、自分の身支度をするとか、食事の時に箸を使えるとか、そんないつの間にか獲得しているはずの能力も、何年も何年もかけて、やっとできたりできなかったり。

そんな息子ゆえに、これまでにも意思疎通を図ったり、今後の予定を伝えたり、お互いにどうしたいか、何を要求したいのかを理解するためのコミュニケーションの手段として、様々なツールを使って来ました。

それらツールは主に、写真や絵でした。それを使っても成功したり失敗したり、ツールを使ったこれまでの歩みは、ある意味波瀾万丈でもありました。

けれど息子は、今はある特別なコミュニケーションツールを使っていて、それは息子の安定に大きく貢献しています。療育や意思疎通、行動を促したり制限する時に使うことが多いはずのツールですが、息子の使うコミュニケーションツールは、たぶん使い方が珍しいと思います。

実はそのツールは、ただただコミュニケーションするためのツールです。しかもそれは、息子の通う障害福祉サービス事業所のスタッフが考えだしてくれて、大事に使ってくれているツールです。

息子は絵を描くのが好きです。でも、よく人に言われるような「障害者は芸術に秀でている」というところには1ミリも引っ掛かりません。何ともわけの分らない絵ばかりを描くので、例えばそれを商品化になんてできないレベルのものです。

それでも昔は、結構細部にわたって細かい絵を描いていました。大好きなドライヤーや室外機は、しっかり放射状の吹き出し口まで丁寧に描いていました。

観覧車やブランコ、気になった建築物や壁や柵、車のロゴも角度まで考えて描いていました。

それがなぜか、いつの日からか絵がどんどん簡素化されていって、だんだん何を描いているのか分からなくなってきました。

これらの絵は、事業所でも好きな時に描いているようです。まるで地図の記号のように簡素化されたそれらを、スタッフ達が息子に何を描いているのか聞くようになったようです。

ただ、そこまでならどこでもよく聞く話。けれど、ここのスタッフ達はひと味違いました。

なんと、この摩訶不思議な息子の絵を、スタッフみんなで共有しよう! ということになったらしいのです。

しかも、支援計画書にも、このことがしっかり書かれていました。わたしは、その計画書を見た時に、なんてすごいことを思いつくスタッフ達だろうと感動しました。

大事なのは、その絵が何なのかの正解を導きだす作業ではなく、息子とスタッフ達のコミュニケーションにありました。

突然絵を描きだす息子に、その絵を見ながらスタッフ達が「これはリンゴ?」などと聞いて、息子が頷いたり笑ったりしたら取り敢えず正解。なかなか頷かなかったら、思いついた回答をたくさん言ってみて、時々息子の方が「まぁ、いいや……」とばかりに折れるときもあるというのです。

折れるというか、キャハハーッと笑うらしいんですけどね。

たぶん息子は、そのやりとりの時間が好きで絵を描いているのでしょう。スタッフと過ごす時間が、息子の精神的な安定につながっているんだなぁ……と思うのです。

さらにすごいのは、ちゃんと共有するために記録を取ってくれているところです。それを見せてもらったら、スタッフ達の息子に対する対応の暖かさが伝わってきました。

息子はここで、人と人のつながりを経験していて、だから人が好きで、ここで作業だって頑張ることもできているんだと思うのです。

息子の絵は、ひたすら息子とスタッフのコミュニケーションのために使われています。その先の目的よりも、その時間を大事にするために使われています。

スケジュール理解のために使うのでもなく、行動を促すためでもなく、息子とスタッフの、ただただコミュニケーションを取るだけの絵は、どんなツールよりも息子の心を安定させて、この中にいる安心感をもたらしているんだと思うのです。

そして、息子は今日も絵を描きます。商品にもならない、摩訶不思議なわけの分らない絵は、それでも息子と私達家族にとっても、大事なものになりました。

このツールを作ってくれて、大事に育ててくれて、今も使い続けてくれているスタッフ達に、心から感謝しています。

このツールが永遠に使われ続けて、この先もその先も、ずっと人との繫がりの暖かさに触れていく息子の姿を、見続けていきたいと思います。