11月30日に、第3回になるhand to handの勉強会を執り行いました。
内容は、親のリアルを語り合い、理解し合うというものでした。
そこで語られた内容は、障害を持った子ども達は、タイプも、暮らしも、抱える問題も同じではないということが理解できるものでした。

しかし、一人一人の環境や状況は違っていても、誰もが抱える大きな問題のひとつに『本人のいるべき居場所』を、安定して一生涯確保することが難しい……ということがあげられました。

今回は、この勉強会で語られたリアルの中から、親が亡くなってからの子どもの居場所、家庭での生活が難しくなった子どもの居場所、学校での子どもの居場所の問題について報告いたします。

それぞれの家庭で抱える問題は全て違う

それぞれの家庭の状況を話していると、その形は実に様々でした。

親が高齢期に差し掛かっても、今も障害を持った子どもが小さかった頃と同じように一緒に暮らしている家庭。

子どもを入所施設に預けて、施設側と協力をしながら自分の子どもと他の利用者である子どもたちを支えている家庭。

家族と暮らしたくても環境が合わずに、問題行動が激化して3ヶ月間入院した子どものいる家庭。
退院後、同じ状況に陥らないようにするため、落ち着いた暮らしを求めて施設などの居場所を探したが、結局見つからずに、アパートを借りて環境を整え、ヘルパーを使いながら母が2箇所の家で二重生活をして子どもを支えている。
費用面の大変さとヘルパー不足の中、何とかやりくりして暮らしているという現状。

障害を受け入れられない人が家族の中にいて、そのために家庭自体が落ち着いた環境として機能していない家庭。

合理的配慮を受けながら大学に通っているが、まだまだそれが十分とはいかず、苦労しながら通学している学生。

福祉における公共のサービスの利用内容は、全ての家庭に合うということはなく、それぞれ十分という状況ではありません。

福祉サービスはマニュアルによって作られているので、利用者がそのマニュアルに合わせなければならないのが現状です。
マニュアル自体に柔軟性がないために、福祉サービスから外れてしまうような人達も少なくはありません。

家庭以外の居場所が見つからない

親が健在の間は、子どもに対する支援やそのサポートの仕方もそれぞれであり、ほとんどが親が責任を持って子どもを支えています。

しかし、親が心身ともに支えられなくなった時、誰がその子を見ていくのか、どこに居場所を作るのか。

そんな将来を考えて、親は何とか体の動くうちに、家庭外で生活の場として暮らしていける、子どもの居場所を探す努力をします。
しかし「見つからない!」とぼやくと「ああ、やっぱりね」と答えが返ってくるのが今の現実です。
「見つかった!」と言うと「すごい!よかったね!」という言葉が他のみんなから返ってくるほど、もう奇跡に近かったりします。

ほとんどの家庭の現状は「ああ、やっぱりね」の方なので、結局、家族が一緒に暮らして、家族が支援をしています。

もう70才を過ぎたような老人が、40代くらいの自分の子供を、歩道側に寄せてしっかり手を繋いで歩いているのを時々見かける、という話が出ました。
多分、通所施設に通うために、送迎の車のある場所まで連れて行っているのだろうと。
老いた親が、重い障害の息子を守りながら道路を歩く姿に、福祉はまだまだ家族頼みでしか進まないことがわかる光景です。

子どもが日中に通所する場所をなんとか見つけることができても、もしも親が送迎ができなくなった時、もしも子どもの面倒を見れなくなった時、もしも親が死んでしまった時、といくら考えても解決法が見つからないままに、ずっと自分たちの家庭の中で同じ暮らし方を続けていることが現実です。

兄弟児の中には、自分は結婚せずに、親の死後も障害を持った兄弟のための人生を生きている人達もいます。
それが本当は、その兄弟児も、親も、障害を持った本人でさえ本意なのかどうかはわかりません。

ただ、当事者たち以外の周りからは、兄弟児たちは「あなたが面倒を見なさい」と言われることが実に多いのは事実です。
「ここで支援するよ!」「私たちに任せて!」という場所と、それを生業にする人たちがたくさんいたら、こんなことはなくなるのです。
けれど、それが少ないからこそ、こんな現象も普通に起こってしまうのです。

健常であれば、親のもとを独立して一人の大人として暮らしていくことが当たり前なのに、障害者はそれを許されないのは、周囲の理解不足、マンパワーの不足、そして居場所がないということが大きな要因ということです。

また、誰もが普通に家庭の中で暮らすことが当たり前と思われている中、障害の重さと繊細な感覚によって、どうしても家庭の環境が合わなくなってしまったお子さんがいます。
お母さんは、家庭外に環境を整えた場所を用意するために、アパートを借りて子どもを刺激の多い家庭から離しました。
そして、お母さんは二重生活をしながら、その子と家庭を両方支えているというケースがありました。

このお母さんは「苦肉の策」だったと語りました。
本来駆け込み寺のような施設がこの地域には全国に先駆けてできました。他県からも視察がくるほどです。
しかし、その施設自体が待機者が多く、利用はできないのが現状です。
そこで、今できることとして絞り出した策だったわけです。

結局、住居代も補助がなく、家庭が家族と本人で二分されることで生活費もかさみ、防音などの部屋の改造にも大きな出費を伴いました。
さらにその2箇所を行き来するお母さんの時間の調整が大変で、それによって、兄弟児もお母さんと過ごす時間が減っていてしまっています。

その上に、生活面で欠かせないヘルパーとボランティアの確保の難しさ、夜間の福祉サービスを受けることが現状として厳しいなど、費用と時間と福祉の利用の隙間が埋められないという、大きな問題があります。

その問題を持ち続けたまま、いつまでお母さんの体力が持つのか、それで親が倒れても、その問題は解決できないまま突っ走ることをしなければならないのか……。

以前「道草」という映画で、重度の障害者が街で24時間ヘルパーと過ごしながら、家族から独立して地域で暮らすドキュメントについて、このサイトでも書きました。

ただ、このお母さんが支える家族と子どもさんの暮らしは、全く福祉の観点からは足りないものだらけで「道草」で見た彼らのような暮らしには、まだまだ到達が難しいのです。

このご家族のお母さんの、息子さんとの暮らしを綴ったブログも、ぜひご覧になり、その現実を知ってください。
(上記のリアルが書かれています)


https://ameblo.jp/shihoenjoydance/entry-12559150959.htm
表示されない場合は下記をクリック↓
ZUMBA ラテンジャズ SALSAサークル shihoのブログ

発達障害があっても普通に学べる場所を作るために

大人になって発達障害が判った子どもさんのお話もありました。子どもさんは、合理的配慮を受けながら、大学に通っています。

合理的配慮とは、文部科学省が以下のように定めています。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1297380.htm
「合理的配慮」文部科学省ホームページ

http://tetote-net.com/wp-content/uploads/2019/12/print.pdf
「合理的配慮」内閣府リーフレット

ここでは詳しく書きませんが、このことについては「てとて」でもしっかり記事として書きたいと思っています。

さて、この合理的配慮を使いながら大学に学ぶための居場所を確保しているということですが、その配慮としての対応は十分とは言えないようです。
それでも本人の努力と支援している大学側で、何とか折り合いをつけながら頑張っているようです。

ご本人にもお会いしましたが、とても真っ直ぐで学びに対して真剣で、社会に出た時には経験からくる様々な事案に対応できる、しっかりと社会貢献できる方だと感じました。
そんな彼女を、大学側もしっかり支えて育て上げて欲しいなと願うばかりです。それこそ、大学も社会貢献することに繋がるでしょう。

発達障害があっても、学べる場所があることの重要性を知ったとともに、これからの合理的配慮が進んで、もう少しちゃんと世間に、誤解ないように伝わって欲しいと思いました。

これは大学に限らず、幼稚園、保育園、小学校、中学校、高校でも同じなのですが、まだ成熟しているとは言い難いこの制度が定着していくように、当事者も支援側も、そして周りも、しばらくは努力をしなければならないかもしれません。

窓口を訪れる前の相談できる場所

また大学以外でも、生活をしていく上での問題点や障害による障壁を乗り越えるために、合理的配慮を理解している相談のできる場所が欲しいとのことでした。
それは、生涯に渡って必要なことだと思われます。

合理的配慮にかかわらず、様々な困りごとの『相談できる場所』は必要です。そして、その場所が認知されていることも重要です。

子どもの年齢によってその内容は変わっても、どこに行って相談すればいいかわからない、こんな時にどうしていいか教えてくれる人が欲しいなどの声は、年齢に関係なく聞かれるからです。

困りごとの相談を受け付けて適切な場所を案内できる、気軽に立ち寄れる場所があれば助かります。

hand to handは、メンバーに法律やお金のプロ、福祉についての相談支援員、または障害を持った子どもを育てたベテランの親たちもいますから、ここに来てもらえれば、どこかの窓口を訪れる前にも、何かしらのお役には立てると思います。

居場所を探すよりも財産を守ることの方が簡単なのかもしれない

それぞれの障害者の家族が個人で動けることとなると、実は入所施設やグループホームを探すこと、居場所を作ることよりも、子どもの財産を守るということの方が簡単なのかもしれません。

このhand to handで学んだように、財産を守る方法はちゃんとあって、それを相談すればきちんと答えてくれる専門家がいます。

成年後見や保険信託については、どう動けばいいのか勉強したり、専門家に助けてもらいながら自分で進めていくことができます。

しかし子どもの居場所が必要になって探しても、何度も絶望を覚えるほどに思い通りに見つからない、ことが運ばないのであれば、それより先に財産を守る方を済ませておくべきではないかと思います。

先に権限をつけて子供の財産を守ることで、生活に対するお金の不安を解消しておけば、将来もし居場所が見つかって契約することになっても、契約やお金について問題が発生しないことから、施設側も安心して預かることができます。

成年後見制度で勉強した時の話であったように、今後施設と契約するとなった時に後見人をつけるように要求された時、すでに後見人がいる場合が施設も受け入れやすのではないかと思われます。
その差から、入所の順番も変わってくるかもしれません

すでに子どもさんが入所されているお母さんの話でも、施設内でも成年後見制度については話が出ていて、その必要性を感じている人が多いとのこと。また、保険信託について興味があるという話もたくさん出ています。

まず、必要性が出てきて慌てるのではなく、まだ親が元気で動けるうちに、もっと言えばまだ子どもが未成年であるうちに、この財産についての問題を解決しておき、その後で体力の要る、子どもの居場所を作ることに専念できればいいと思います。

第3回親亡き後を考える会の勉強会を終えて

今回の勉強会では、親が亡くなった時、家庭での暮らしが難しくなった時、子どもが学校で学ぶ時、それぞれの居場所、生活の場所について、そのリアルな話から多くの問題点が浮き彫りにされました。

今後のhand to handでもさらに勉強会を続け、問題点をきちんと表に出して、専門家と親たちが手を結び、地域で誰もが普通に暮らしていけるように、自分たちでできることを学びの中でしていきたいと思います。

次回のhando to handoは・・・

次回の第4回目となる親亡き後を考える会(hand to hand)は、12月22日(日)19:00より行います。

法律関係ではなく、福祉の立場から後見人をされている方をお迎えし、座談会形式で語り合います。

その方自身、当事者家族であり、別の方への後見人をされていることで、その思いや大変さ、喜び、また職種による違いなど、専門的なこと以外のことでも、多くの気づきを頂けると思います。

福祉という立場から後見人をされている方は少数ですので、貴重な時間になると思われます。

==================================

勉強会は、福岡市東区の箱崎駅近くのピーサポネットで行なっています。
勉強会に参加したい方は、こちらのコメント欄か、親亡き後を考える会のFacebookにコメントをお願いします。

親亡き後を考える会(hand to hand) Facebook
https://www.facebook.com/groups/509341436553072/?ref=bookmarks