遠足のお弁当箱にぎっしりつめられたスナック菓子
当時は養護学校と言われていた特別支援学校で、子ども達の遠足には親達が順番を決めて同行していました。今回同行するお母さん達、次の遠足で同行するお母さん達……というふうに、いずれ回ってくるので誰も文句も言いませんでしたし、色んな事情で来れないお母さんもいたので、その辺りはみんなで融通しながら同行していました。
わたしが同行したのは大きな公園が目的地で、公共機関を乗り継いでの道中は窓の景色もよく、気候も遠足にはもってこいの日でした。気持ちのいい広場で思いきり体を動かした後、シートを敷いてみんなでお弁当を広げたのですが、子ども達はそれぞれにお母さんの愛情弁当を持ってきていて、なかなかにカラフルなお弁当がならびました。
その中で一人、かわいいハンカチの結び目をほどいて、楕円形のかわいいお弁当箱のふたを開けてそっと地面に置いた子がいました。お弁当の中身を見ると、中にはぎっしりとスナック菓子がつめられていました。
知っていたからこそお母さんの愛情だとわかった
その子は大変な偏食を持っていて、その時はスナック菓子しか食べられない状態だということも知っていました。正直、障害の重い子の中には偏食が激しいことも少なくないのです。だから彼女もその中の一人に過ぎないわけです。そこでわたしは、そのお弁当の中のスナック菓子を覗き込んで「あら、おいしそうね」と言うと、彼女はお日様の笑顔で答えてくれました。
かわいいハンカチの包み、かわいい楕円形のお弁当箱……本当はスナック菓子を袋のまま持たせてもいいわけですが、お母さんはきちんとお弁当にして持たせてくれていました。しかも、そのスナック菓子は色んな野菜が練り込んであるようなものでした。
本当は、お母さんはお弁当にたくさんの野菜やお肉や果物を、他の子達と同じように詰めてあげたかったんだろうと思います。知らない人が見たら非難を浴びてしまうお弁当かも知れないけれど、彼女にとっては嬉しいお母さんの愛情弁当。スナック菓子とはいえ、お母さんはちゃんと体のことだって考えてくれていたんです。
なぜ彼女がその時に食べれる唯一のものがスナック菓子だったか、それはわたしも知りません。ただ、たまたまそうなったというのが自然だと思います。食事を作るのが面倒とか、虐待で子どもにスナック菓子ばかりを与えてたなんて話しは聞いていないし、そんなお母さんではなかったと思います。それに、彼女も成長とともに少しずつ食べれる食材は増えていったように聞いています。たぶん、それもお母さんと、学校や周りの頑張りの成果だったのでしょう。
そもそも偏食を矯正するのは並大抵のことではありませんから。だってほら、ピーマン嫌いとかセロリ嫌いなんて人が、大人になってもなかなか食べられないってことは多いですよね。それを思うと理解しやすいことだと思うんです。
偏食にはいろんな理由があるんです
一言に偏食と言いますが、実は障害によって口の中が非常に敏感で、食感によっては食べれないということも多いんです。調理によって何とか受け付けられるようになればよいのですが、敏感過ぎてちょっとでも嫌な食感が感じられたら、それで受け付けられなくなることもあります。
また、非常に強いこだわりから、食べる食材と食べない食材を分けてしまって、食べないと決めたものが少しでも混入したら食べないこともあります。
それは親の努力でも克服させることは難しいのですが、それでも不思議なのは、ある日あっさりと受け入れてしまうこともあり、本当に彼女達のそんなところは完全なる謎です。
そういえば大昔、とある精神科に親訓練を受けるために通ったのですが、そのとき一緒に受けたお母さんが娘さんの偏食に悩まれていました。どんなに頑張っても、頑張っても、頑張っても……白いご飯にシャケフレークをのせたもの以外は一切口にしない。頑張って作った食事には見向きもしない……という切ない悩みでした。そして3ヶ月にも及ぶ親訓練の後半に、白ご飯とシャケフレーク以外に食べた! と、それはそれは嬉しそうに報告されたんです。
それは、帰りの遅かったお父さんが帰宅後、カレー? ピラフ? ちょっとここら辺りの記憶が曖昧なんですが、お父さんが一人で食べているのを娘さんがじっと見つめていて、お父さんがよほど美味しそうに食べていたのか、その子も食べると言いだしたと……。そして、ほんの数口食べることが出来た! というもの。その話しの顛末に、他のお母さん達からも拍手が湧き起こりました。
あの時の嬉しそうなお母さんの顔は、本当にステキだったと思います。その後、偏食が改善されたかというと正直厳しかったのですが、それでもその事件は、その後のお母さんの頑張る力になったに違いありません。
努力していないわけではないし、いろんなドラマがおこっているんです
障害をもっている子ども達は、こんな風に、スナック菓子や白ご飯にシャケフレークしか食べないようなこともありますが、それでも日々の成長もあり、ある日突然食べたり、ある日突然嗜好が変わったりして、親や周りを驚かせることも少なくありません。しかも、その理由がさっぱり分からないなんてこともざらで、理由がわかったら儲けもんです。常にドラマは起こっていて、案外それが謎が謎呼ぶサスペンスの連続だったりもします。
テレビのドラマと決定的に違うのは、その謎が解けないままに、次のストーリーが始まってしまったりすること……ですかね。
2019年2月7日 at 7:09 PM
恥ずかしながら、私にも好き嫌い有ります😅しかもアレコレ………食べず嫌いもソコソコ………😑
例えば玉葱‼️😱でも不思議な事に、カレーはお肉と玉葱だけで作った自作のが大好物😆💕なのにシチューの玉葱や肉ジャガの玉葱食べられません😥何が違うのか自分でも全然分かりません🙄❓
この歳になっても嫌なものは嫌なんです‼️みんなの気持ち、チョビーーーットだけ分かるかも🤔
もしも的外れな事言ってたら、遠慮なく削除してネン😅
2019年2月7日 at 7:35 PM
しないですよ〜ん(笑)
好きも嫌いも、得意も苦手も、それは誰だって持ってるよね。
「何が違うのか自分でも全然分からないこと」があるって、その通りだと思うんよ。
特に、障害を持った子達も同じことが言えるんよね。
それに向き合ってくれる誰かがいたとして、その誰かが目の前の大事な人の、好きや嫌いや得意や苦手にきちんと向き合っていたとしたら、たとえその向き合った結果の行動が通常から逸脱して見えたとしても、それは大事な人にとっての正解になると思うんよね。
って、あぁ、奥が深いなぁ・・・笑
2019年2月7日 at 7:57 PM
偏食には、我が家も悩まされました。
お弁当に詰められた、野菜入りポテトチップス。愛情を感じます♥️
どのお母さんも、こどもの健やかな成長を願ってますよね。
『バランスよく』、『残さず食べましょう』
大事なことだと思うけど、
感覚の違いから、難しいお子さんがいます。
改善しようと一生懸命なお母さんほど、追い詰められますよね。
あたたかい、長い目で、
そして、食事が楽しい!
と思ってもらえると嬉しいなぁ♥️
2019年2月7日 at 9:45 PM
本当にそうですよね。食事の時間が楽しいってステキです。
辛い時間になるなら、どんなに体にいい食事でも意味がない気がします。
あたたかい長い目で、ゆっくり構えて成長を待つ・・・それって、全てにつながる気さえしますね。
2019年2月7日 at 11:18 PM
今思えば、私もセンシティブ!🤣な子どもやったわ。
お味噌汁、、家では塗りのお椀で供されるものが、母の実家だと有田焼の器(うちでは別の用途の器)で出てくる。
それが違和感あって、それだけで食べたくなかった。
保育園はもっと最悪で、毎週土曜日はうどん。
うどん嫌いやった。
みんながとうに食べ終わってるのに、ひとり残されて、1本1本とっくに冷めたまずいやつをちょっとずつ食べてた。
しかも、食べた後の器にそのまま脱脂粉乳入れられて「飲め」と強要される。
子どもやから反論したくても先生にどう説明していいかわからんやったけど、今ならわかる。
「飲み物は別のカップに入れてよ!」
子どもの時の私は、感覚が鋭く尖った鉛筆みたいだったんやね。
ちょっとした違和感があると受け付けられない。
大人になるにつれて、どんどん鉛筆の先がつぶれて丸くなっていって、どんなことも御構いなしでいられるようになった。
それが生きやすくなるってことかもね。
子ども時代から感覚が丸い人もいるだろうけど、そうじゃない子もいて、思うにそのまま大人になった人もいるんだろうな。
育てる親は大変だったろうな。
食も細かったし(今は考えられんが😅)
うちの親も、先生から何か言われてたかもしれない。
先生には、そういう子もいるから、食べることを強制しないで欲しいな。
この記事読んで、はるか昔(半世紀前〜〜もうビックリやわ‼️)のことを思い出しました。
長文失礼🙇♀️
2019年2月7日 at 11:30 PM
そんなことがあったなんて、ちょっと驚き。
子どもが大人になる過程で、丸くなる部分もあれば、そのまま尖ったまんまの部分もある。
大人になっても尖ったまんまの部分が残ってるのに、それを忘れて子どもに強要してしまう。
大人って忘れちゃうんだね。子ども達を見ながら、自分もそんなところあったって思い出せないんだね。
子ども達と向き合う仕事に就いた人は、子ども達が好きでなったはずだから、それを常に忘れてはいけないって、学校でも教えてほしいね。
子どもを動かすんじゃなくて、子どもと一緒に動きなさいって。