少し前だけれど、あるお母さんがTwitterでつぶやかれた言葉を見て、あぁ、なるほど・・・と思うことがありました。
私はTwitterは使いこなせていないので、ほぼ読む専門。
どうやらお子さんが発達障害を抱えており、お母さんは日々大変な思いをされているようでした。
ある時、お母さんは子供さんとの大変だった出来事を専門家に伝えたようで、その時の専門家の答えが「問題行動には理由がある」という一言だけだったというのです。
■すれ違いが起きた瞬間■
それを聞いたお母さんは、もう二度と相談なんかしない!と結んでいました。
多分、お母さんが大変な思いをしてしまった行動について、お母さん自身がその専門家に伝えたということは、少なくともそれまでは、専門家はお母さんにとって信頼できる人だったのではないかと思われます。
しかも、少し勉強している人なら「問題行動には理由がある」という言葉は、何ら間違ってはいないことも解ります。
けれど、お母さんはその言葉によってその専門家への信頼も、伝える言葉も自らなくすことを決めました。
一体、なぜ?
私もかれこれ28年間障害者と共に暮らしてきましたが、私のようにベテランと言われるような年になると、「問題行動には理由がある」というその先の専門家の言葉が読めてくるようになります。
しかしその先の言葉を読むには、まだお母さんは若くお子さんも小さい。
言われてもいない先の言葉を想像できるほど、年齢も積み重ねていない。
なるほど、遠い昔で忘れてはしまったけれど、きっとこの思いは経験があるぞ!
まだまだ若かった、そして小さい息子を抱えたあの時の私。
私は共感とともに、双方の思いのすれ違いについて、少々残念な思いも抱きました。
実はこの現象、言葉足らずが生んだ悲劇です。
■お母さんの本心と専門家の言葉の続き■
つまり、お母さんはその子のその時の評価や分析が欲しかったわけではなく、専門家からお母さん自身への共感の言葉が欲しかったのだと思います。
これは障害を持った子供を育てているとよく解ることで、たった一言
「大変でしたね、お母さん、頑張りましたね!」
と言葉がもらえると、次にまたお母さんは頑張れたりするんですね。
一番先にこれが来ていたら、かなり違っていたはずです。
いや、むしろ信頼関係は強まったはずです。
そしてもうひとつ。
言葉のその先にも言葉があれば、また違っていたかなと。
「問題行動には理由がある」
この言葉ひとつであれば、親としては突き放された気持ちになるものです。
その理由を考えながら解決する方法を「一緒に見つけていきましょう」という寄り添いの姿勢がなかったことが、正直残念なことでした。
きっと専門家にしてみればそうではないのでしょうが、お母さんにしてみれば「だから、問題行動を起こさせてしまったお母さんが悪いのですよ」と聞こえてしまいます。
なんだか面倒な親だと思うかもしれませんが、実際に子供の問題行動に正面から向き合って、それについて自分の育て方が悪いのではないかと思ってしまったり、人に責められた経験がある人は、特にそう感じるのではないかと思われます。
ただ私のように年を取り、長い年月に多くの経験を重ねていると、相手の話の先が読めるようになって来るんです。
多分その言葉の先には、決してお母さんを責める言葉は続かないだろうと思うのです。
長い歴史の積み重ねの中で足りない言葉も、専門家の人なりや話したその時の環境、会話の中から、多くの不足部分を読んで補うための技術を獲得していくわけです。
さらには「それ、どういうこと?」と返す根性も培われたりします。
まぁ、これは人によりけりかもしれませんが(笑)
このお母さんも、きっと子供の特性にしっかり向き合っている方なのでしょう。
だからこそ、多くの経験がお母さんを強くしていくはずだと、ここのところも先読みしてしまう年寄りな私がいます。
■本当は問題ばかりではないはず■
「問題行動の理由」なんて言われたら、恐ろしく負のオーラをまとった言葉に聞こえてしまいます。
正直「拒否一択!」その問題行動をなくすための努力をしなさい!と目の前に突きつけられているような威力があります。
けれどその問題行動には、その子の面白い「視点」や「考え」も含まれていると気づくことも少なくありません。
その部分を親と専門家が共有できるようになったら、負のオーラの中にキラキラするものを見ることができて、親たちはもっと前向きになれるはずです。
足らない言葉に振り回されないようにすることは大事です。
子供を真ん中に、それぞれの思いや発見を共有をしていくことで、お互いの信頼関係が崩れてしまうことはなくなるはず・・・と、年齢を重ねた私は思うわけです。
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