私もまだ30代という、小さな自閉っ子を育てるのにもひよっこだった頃のことです。

障害を持った娘さんを育てている、あるベテランお母さんの一言があまりにも衝撃的すぎて、その時の光景が今も私の脳裏に焼きついています。

「私ももう年やけん、いつどうなるか分からんやろ?娘残して死ぬんやから、娘のために娘の子宮ばとったとよ」

一瞬「えっ?」となった私は、それに返す言葉が全く見つからないまま、そのお母さんの話だけをひたすら聞いていました。

今考えると、そのお母さんは誰かにそのことを聞いて欲しかったのかもしれません。人に簡単に話せることでもないし、ましてや一歩間違うと批判されそうなことでもあります。

なぜ、お母さんは私のようなひよっこに話されたのか分かりません。むしろ、私がピンと来なかったからこそ話せたのかもしれません。

ただ、お母さんの話が余りにも深くて、とてつもなく切なかった。

情の深いこのお母さんが、心優しく、誰にも愛される重い知的障害の娘さんの一大事を、表情も変えずに穏やかに話されたことに、本当の思いを感情だけでは話せないところまで来てしまっているのだと、私の心に深く刺さりました。

何が起きて、なぜそうなったのか

「親がおらんようになって、人に面倒見てもらわんといかんようになったら、生理のあったり子供産んでしもたら迷惑やろ?」

そのお母さんは、もう自分が死んだ時のことを考えておかなければならない年になっていました。自分が死んだ時、娘を守るには……早くに旦那さんを亡くし、自分の死後のことも常に考えていたはずです。

今、私がこの年になって勉強会を始めたのも、自分が死んだ時に子供をいかに生かして守るか知りたいからです。そのために、子供たちを理解して付き合ってもらえる支援の輪と、人と人とのつながりを作ろうとしているのです。

けれど、このお母さんの視点は違っていました。

娘さんを囲んでくれる人達と共に生きていくのではなく、娘さんが周りについていくために、周りに配慮しなければならないという考えでした。

生理の介助で人に迷惑をかけてはいけない、望まない妊娠の可能性をなくさなければならない、しかも、娘さん自身はそのことを理解してはいない。

知的に障害があれば周りに迷惑をかけるから、少しでも迷惑をかけずに済むように、なんとか今まで通り愛されながら暮らしてほしい……。

それが【女の子だから子宮をとる】ということだった……これが、お母さんの生きている間にできる娘さんへのギフトだったのです。

今からたった二十数年前のことなのに。

こう思わざる得なかったお母さんのとった行動は、娘さんを守りたいという一心であったのは間違いありません。

『迷惑をかけて生きている』

けれど、このワードは、あの恐ろしい「相模原障害者施設殺人事件」にも繋がっています。

優生保護法と優生思想は卵と同じ

1996年まで、「優生保護法」という法律が日本にはありました。今は「母体保護法」に改定されていて「優生手術」の項目が削除されたことで、以前より少し当事者側に寄った形になったと思われます。

「優生手術」とは、優生保護法にのっとって、物理的に子供を儲けることができないように手術を行うことです。

「優生保護法」による「優生手術」の目的は、以下のように定められていました。

====================================

以下、衆議院ホームページより引用

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00219480713156.htm

◎優生保護法

第一章 総則

 (この法律の目的)

第一条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。

 (定義)

第二条 この法律で優生手術とは、生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術で命令をもつて定めるものをいう。

2 この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。

第二章 優生手術

 (任意の優生手術)

第三条 医師は、左の各号の一に該当する者に対して、本人の同意並びに配偶者(届出をしないが事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、任意に、優生手術を行うことができる。但し、未成年者、精神病者又は精神薄弱者については、この限りでない。

 一 本人又は配偶者が遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有しているもの

 二 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有し、且つ、子孫にこれが遺伝する虞れのあるもの

 三 本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの

 四 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼす虞れのあるもの

 五 現に数人の子を有し、且つ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下する虞れのあるもの

2 前項の同意は、配偶者が知れないとき又はその意思を表示することができないときは本人の同意だけで足りる。

以下続く。(ここまで引用)

====================================

この法律で多くの困難と悲しみも生んだことはまぎれもない事実です。

有名なところでは、ハンセン病で家族を持つことが許されなかった人々です。そして、あの娘さんのように障害を持って生まれた人々、さらには、障害を持ってしまうかもしれない、これから生まれようとしていた子供に対してです。

今、厚労省が優生保護法で強制的に優生手術を受けさせられた人達に対して、調査を始めました。裁判が始まったことで、今後の保障として一時金が支払われ、法律の改正がなされました。

https://www.mhlw.go.jp/stf/kyuuyuuseiichijikin_04351.html(旧優生保護法による優生手術等を受けた方へ)

けれど、お金では戻らない時間と、本来の誰でもが持て得たはずの幸せを考えた時、訴えた人達の多くは、本当は「知ってほしい」という一念にこそ、その訴えた真相があったのだと思います。

戦後のベビーブームを受けて人口抑制がなされたという話もありますが、私の義母も5人の子供を産み、実際に育ったのは3人で、しかもその後にお腹に子供が宿った時、これ以上は母体が持たないと諦めたという話も聞いています。

当時は今のように医療も発達しておらず、産婆さんが家に駆けつける時代で、義母は病院で出産したものの、全ての我が子を育ててあげられなかったと言いました。

生まれてすぐに亡くなった子の位牌と、生まれて来たのは男の子だらけだったけど、もしかして諦めた子は女の子だっただろうかという、義母の言葉でその切なさが伝わりました。

でも、それは自分の命を守ってもらうために選択せざる得なかったと。優生保護法が義母の命を守ったのだとすれば、完全に否定されるべき法律ではなかったとも言えます。

ただ、義母は、心のうちは自分を責めたかもしれません。

優生保護法が残した歴史は、結果として多くの悲しい出来事を引き起こしてきただけではなく、今もその「産んではいけない」という隠されたワードを、人の心の中に残したままになっていると思います。

けれど、一つ疑問に思うのは、優生保護法が『不良な子孫の出生を防止する』という優生上の見地からくる”優生思想(遺伝的に優良な形質を保存しようとすること)”を作り上げたのか…..ということです。

優生保護法と優生思想。この二つを見る時、どちらが先で、どちらが後なのか、本当はわからないのではないか、と思えるのです。

優生保護法ができたから、健常の子供でなければいけないという思想が優位になったのか、健常ではない子を産むことを良しとしないから、優生保護法ができたのか…….。

卵が先か、鶏が先か……それと同じように、答えは明らかではないように思えるのです。

義母も、そしてそのお母さんも、口にこそ出さなかたけれど、本当の心の奥底では、仕方ないでは済まされることではなかっただろうと思います。

仕方ない……それは、自分が生きていくために背負うための言葉なのかもしれません。

出生前診断と優生保護法

優生保護法は、今は「旧優生保護法」として過去の悪しき法律であったと理解され始めました。けれど、母体を守るためという理由の他にある『不良な子孫の出生を防止する』という精神は生き続けているように思えます。

医学が発達して、今盛んに行われだした出生前診断は、やはりその精神を継ぐものです。それは、人間の奥底にある”優生思想”は消えることがないということを教えてくれているように思えてなりません。

実際に、出生前診断で染色体異常の確率が高いと診断された時点で、この世にやってこれなくなった命は9割を超えます。

けれど、出生前診断を選択したからといって、批判することはできません。義母がそうだったように、傷つくのはお母さんだからです。

相模原障害者施設殺人事件に見るワードの不快さ

『迷惑をかけて生きている』

なぜ当事者やその家族がそう思いながら生きていかねばならないのか。その理由は、本当は誰もが想像できる範疇ではないでしょうか。

自分も何かのトラブルで障害を持ってしまうかもしれないことを忘れて、障害者を差別するという行為はなくなることがありません。

優生思想は、相模原障害者施設殺人事件の犯人にもありました。障害者は生きていてはいけない。誰だってそう思うだろう?……と。殺したことで、親はきっと自分に感謝するだろうと。

このことについての世間の容認する意見が実に多いことは、恐ろしい限りだとしか思えません。その通りだ、障害者は役に立たない!という言葉の多さに愕然とします。

そのことを、障害者やその家族達も知っています。そして、少し前の時代の、受容するしか方法を知らなかった人たちが、こうして辛い現実に従ったのでしょう。

今ではあまり考えられませんが、家族も、そして施設や医療も、ひいては世間もが、障害者が子供を産める機能を持ち続けることの放棄を迫っていたという実態があったということです。

それでも、それは当たり前で正義だという思想が育っていいはずがありません。

あの事件は、今も大きな影と影響を残しつつ、『迷惑をかけて生きている』という決して消えないワードを残し続けています。

人の心の底にある、障害を持った当事者や家族に対する本音に「うちの家族に障害者がいなくてよかった」「障害者はかわいそう」「障害者は不幸」という負の感情が潜んでいて、それが『迷惑をかけて生きている』というワードに繋がっていってしまうのだと思います。

そして、障害者排除を見事に体現して見せたあの殺人鬼を育てたのは、結局人の心の未熟さにあると思うのです。

だからこそ、私たち家族は周りに配慮することだけに留まらず、周りの理解と人としての繋がりを、優劣抜きにして進めていかなければなりません。

また、あのような殺人鬼を育ててしまわないためにも。

当事者だけに譲歩を求めても解決しない

心穏やかな娘さんが子供を産む機能を失くしてから、しばらくして驚くほどに人格が変わったという噂を聞きました。泣いて暴れて大変なんだと。本当に優しい、人や動物に愛情をかけられる笑顔の素敵な女性だったのに。

今考えると、もしかして子宮だけではなく、卵巣も失くしたのではないかと。重い更年期症状に似た、精神的なダメージの強い状態になってしまったのかもしれません。

更年期は、人によっては想像を絶するほどの精神的症状に悩まされます。もし、彼女がまだ若くしてそうなってしまったのなら……そう思うとやり切れません。

世の中が少しづつ変わっていくことで、法律も少しづつ変わり始めています。まだまだですが、当事者が譲歩して改めていく時代は、過去のものにしなければならないと思います。

彼女がそうだったように、結果を恐れた上で、その手前で食い止めるように本人だけに負担を強いるのではなく、恐ろしい結果を生まないための教育や周知を行うことこそが、大切なのではないでしょうか。

旧優生保護法は悪しき法律だったと横に置いておくだけではなく、これから学んだ教訓を、どうすれば今後に生かせるかを考えて初めて、悲しい思いをした人達に一縷(いちる)の報いを果たせるのではないかと思うのです。

====================================

「てとて」では、伝えたいこと、知りたいこと、知ってほしいことなど、あなたの思いやご意見をお待ちしております。コメント欄、または管理人メールにてやりとりさせて頂いた後、文章に起して記事にさせて頂きます。また、ご寄稿いただくことも大歓迎です。

ぜひ「てとて」をご活用いただき、少しでもみなさんの思いを発信して下さい。