息子は強度行動障害と言われ、その名前が市内では轟いていたようで、多くの施設や事業所に関わりを拒否され、現在の事業所にたどり着くまで長い時間を要した。

数秒目を離すとどこかに行ってしまい、保護された各区にある警察署を、あと少しで制覇する勢いの時もあった。

気になったものを壊してまで中身や構造を確認し、イラついては近くの大物から小物まで破壊した。
自傷により人の皮膚はここまで破けるのかと、そのバイオレンスっぷりに卒倒しそうになった。

これらの問題行動は猪突猛進で行い、止めるのは至難の技。
けれど、上には上がいるものだ。息子の問題行動を先回りして止められるスーパー支援員たちに、息子は幸運にも出会うことができたのだ。

その出会いが、振り返らずに突っ走る猪突猛進の息子を、走らずに「自分の意思」で「交渉」によって自分の思いを伝えようとするまでに成長させた。

息子の行動を大きく転換させた現在の事業所のスタッフの考え方は、多分他のどんな専門家にも思いつかないであろう技だと思う。
それは、息子に真正面から向き合って、どんな行動も受け止めてくれるスタッフ達の力量にもあると思う。

◆写真とホワイトボードを破壊し続けたわけ◆

息子が養護学校に入学した時から三年間、多分息子が在学中で一番好きだったであろう担任とのやりとりが、息子の学校に通う理由になっていたのだと思われる。

しかし転勤によって、大好きだった先生との別れを経験した頃から、学校でも視覚支援や見通しを立てるためのスケジュール導入のため、ティーチプログラムを導入するようになった。

先生達は家に訪問もしてくれて、いろいろ考えてくださった。
息子の過ごす部屋を構造化して、視覚からの支援を家庭でもできるようにと頑張ってくださった。

誰だって子供をダメにしたいなんて思っていない。今だって私は、先生方には感謝している。

ただ、息子は写真を見るとひどく怒って破り捨てた。しばらくして、ホワイトボードをやたら破壊するようになった。そして、そのあとは壁にも穴を開けるようになった。

なぜ?システムを入れてプログラムを遂行すれば、落ち着くのではないのか?
私のやり方が悪いの?なぜ??
それが重なった頃、私も流石に理解できるようになった。

視覚支援とティーチプログラムでスケジュールを入れられることを、息子は極度に嫌がった。
好きな時間に好きなことをしたかった。けれど伝え方がわからない。
視覚支援で好きなことを伝えられれば良いのだが、時間割は決まっているし指定された行動をこなしていかなければ終わりが見えない。

自分の動きの中で、なぜこんなものが挟まれているのか、息子は混乱したと思われる。
写真を破っても、すぐに復活して新しいものがスケジュールとして貼られている。

破っても破っても復活するスケジュール用の写真。
写真はホワイトボードに貼られていた。息子は気付いた。

それから、息子はどんな場所にあるものでも、ホワイトボードを親の仇のように破壊しまくった。
ホワイトボードさえなければ、写真は貼られないと思ったのだろう。

ただ、息子は先の見通しで落ち着くというタイプでもなく、激しくスケジュールを組んでしまわれることを嫌った。
ただ、あの大好きだった担任の先生の「ひろ〜、行くよ〜!」というやりとりが好きだったのだと思う。

激しく写真とホワイトボードを破壊し、時に泣き叫んでいたあの頃の息子自身、混乱を作らないはずのシステムで混乱していたのだと思う。

◆スタッフが考えた、既存しない驚きのツール◆

息子は何より人にこだわると言っていい。信頼できる人といることが一番大事なようだ。

ある事業所を利用した短期入所で、就寝の時は誰かと一緒でなければ寝ないし、人がいない不安から脱走や破壊が起こることを伝えていたが、引き継ぎがなかったのか、自閉症だと静かな部屋でクールダウンして過ごせると思われていたのか…。
ある日の宿泊で、就寝時に部屋に誰もいなかったらしく、1人残された息子は多分不安から部屋中を破壊しまくった。

短期入所にて。部屋ごと破壊。
部屋のドア、エアコン、壁、電気を破壊。
ドアは手だけで穴を開けていた。
まるで窓でもあって、そのガラスを抜いたかのような破壊の跡。

人へのこだわりは、今の事業所のスタッフは承知しているのだと思う。
あるモニタリングの日、担当スタッフからこう提案された。

「これを、スタッフ全員で共有したいのですが…」

息子はよく絵を描く。紙に鉛筆で描く。そして床や地面に指で描く。
なんの絵かわからないこれらを、スタッフ達で息子に「これは〇〇?」と聞いて、息子がうなずいたり笑ったりするととりあえず採用、反応がなかったり違うような反応なら不採用で、こうして書きためてくれていた。

わ〜、面白い!と思ったが、この時はまだ、この奥深さが私には解っていなかった。
ただただスタッフと息子の、コミュニケーションのためのものだと思っていた。

けれど、これがすごい力を発揮するのはその後だった。

◆息子は自発的に交渉することを学んだ◆

伝えるすべを知らないから、勝手に家を飛び出して保護されていた。
欲しいものがあっても伝えられないから、勝手に取ったり壊したりしていた。

写真を使えなかった息子は、行動援護(移動支援)のスタッフにも恵まれたので、外出時に食べたいものを選んだり、カラオケの選曲に写真を使うことができるようにはなっていった。(これもすごいことだと思う)

けれど、相変わらずスケジュールには使えないし、ホワイトボードもこちらが気を緩めれば危うい状態。
いわゆる視覚支援やスケジュール、カレンダーも拒否の強かった息子。
しかし、快進撃はこの後からだった。

息子は絵を描くことで、事業所のスタッフ達とコミュニケーションをとり、その楽しさを知っていったようだ。
もともと人にこだわり、人が好きな息子は、この絵によって正解不正解を言い合うこと自体が楽しいようで、スタッフの答えが間違っていても怒ることもなく、ま、いっか!と受け入れているらしい。
また、正解の時は嬉しいようだ。実は、それは我が家でも起きた。

スタッフが携帯用に作って私に渡してくれた単語帳タイプのもの。

息子はこれをもらったことが嬉しかったようで、これを私のカバンにさっと入れてニッと笑った。
ずっと持っていて欲しいらしく、私も「分かったよ〜!」とOKサインを出す。
そして顔を見合わせて、ハハッと笑った。

ある時、息子がカバンからこれを取り出して、この絵を父親に示した。そして、右にある四角の中に細かい格子のある丸が描かれたところを指で押して見せた。

父親は何気なく「ピンポ〜ん!」と言ってみせると、息子の顔がパッと明るくなって、ウンウンと大きくうなずいた。
「あっ!なるほど!」
父親は、その四角い部分を「インターホンか!じゃぁ、左はドアとドアポストだ!!」

そう言うと「すごいなぁ、上手いなぁ!」と連発していた。
なるほど、確かに。そして上の丸いものはドアスコープ!
ドアの内側と外側が混在しているものの、息子は昔住んでいた団地のドアを覚えていたのだろう。

満面の笑みで満足そうな息子に、私たちはこの体験を息子にさせてくれているのだと気づいた。
例え伝わらなくても怒らない。人が好きな息子は、相手が分かろうと向き合ってくれることの安心感と、やりとりの楽しさを知ることができたのだろう。

◆息子は私たちにも自ら交渉してくるようになった◆

息子は写真を破ることがなくなった。嫌いだったスケジュールだけに写真が使われるわけではないから。
息子はホワイトボードも破壊しない。例えそこに写真を貼ってみても、今はそれは無意味なものだから。

急に外に飛び出してあっという間にいなくなり、保護されていた息子は、今は「外に行きたい」と言ってくるようになり、勝手に飛び出さなくなった。
パソコンの中の写真や関連アイテムを示して交渉してくるようになった。
「今は忙しいから、お昼ご飯の後に行こう」などと伝えると、しっかり待てるようになった。

ドライブも、知らない土地に行くことが好きな息子は、分岐点に差し掛かると「あっちに行きたい!」と指をさす。
父親が「こっちにしようよ!」と言うと「いやいや、あっちだ!」とさらに指をさす。
こういうやりとりが楽しいようだ。

欲しいものや、こだわりから捨てたいらしいものも「あっあっ!」と聞いてくるようになった。
「それはまだ大事だから捨てないで」と言うと我慢できるまでになった。
面白いことに、破壊したいものまで壊していいか?と聞いてきたりする。

この「交渉」が一つ挟まれたことで、随分と問題行動が減った。
何よりすごく悩まされていた、家からの飛び出しがほとんどなくなった。
そして、よく破壊していたドライヤーですら「壊していい?」と聞きにきて「壊さないで〜!」との答えが返ってくることは知っているはずなのに、それよりもやりとりを楽しむことの方が先になっている。

ところで、実はこれができるようになってから、息子はスケジュールを受け入れるようになった。
それは、自分で交渉ができて、変更可能だと知ったからだろう。
そしてカレンダーも見れるようになった。あんなに嫌がっていたのに。

人を勝手に動かすなと言わんばかりに、破壊して暴れて大泣きしていた息子が、いろんなものを柔軟に受け入れられるようになったのは、やはりこの絵のおかげであることも大きい。

それにしても、よくこのことに気づいて、しかも全員で共有することを考えたスタッフさん達には、本当に感謝しかない。
市内トップレベルの支援ができると言われている所以が、既存のツールに頼らない、しかも本人の自発を促し、利用者に寄り添ったツールを作れる、というところにもあるのだろう。

そして今日も息子は、自分と向き合ってくれる人達のいる場所へと向かう。