書類を提出するために役所に行った時のお話。
この日の福祉介護保険課のイスはガラガラだった。

そういえば少し前に訪れた時は、同じブースにある高齢者福祉係に用事がある人たちで、イスは満杯だった。

実は例年夏になると、公共交通機関やタクシーの助成の申請のために、70歳以上の方とその付き添いの方などでごった返すわけだ。

今年はさすがにコロナの影響もあって、イスの配置は考えられており、人の数も例年よりは少ない感じだった。
それでも高齢者の方と付き添いの方により、当然イスはその数だけ占領される。

実は障害者も同じ恩恵を受けるわけだが、全く高齢者のごった返しには敵うわけもなく、同じブース内でも受付窓口は高齢者と障害者に別れているので、当然障害者の方がスルスルと先に受付の順番が来てしまう。

そういえば数年前に私もその中にいたことがあった。
当然障害者側なので、先に来たお年寄りより先に順番が来た。

その時「なんで自分より後に来たあっちが先なんだよ!」
ごった返した中のどこかで、男性の声が聞こえた。

私はその声を後ろに手続きをしていたわけだが、後ろで職員さんが丁寧に対応されていて、大変だなぁと思ったことを覚えている。

でも、私も70を超えた歳になればお世話になるかもしれないわけで、このことは覚えておこうと思う。
いや、忘れることもないだろうし、そもそも老人と障害者でブースも分けられていることを知っている。

もしその時、同じように「なんで自分より後に来たあっちが先なんだよ!」と言った人がいたなら、「それはね・・・」と耳打ちしようと思う。

私も年は確実にとっている。恐ろしいことに、その実感もある。
高齢者の中で並ぶ日も、そんな遠い日のことではないのだ。

と前置きがやたら長くなった。
というわけで、振り出しに戻ろう。

この日は、そんな公共交通機関やタクシーの助成の申請期間は終わっていて、老人福祉課と障害者福祉課の待ち人数は前回と逆転していた。

私は番号札を取って、誰も座っていない長イスを選んでひとり座った。
すると奥から職員さんが出てきて、私の座るイスまで来ると今日は何の用件かと聞いてきた。
そして私の話を聞き、確認のためと必要な書類を取りに再び奥に消えていった。

私は職員さんを待っている間、ぼーっと前の障害者福祉課の受付ブースの様子を見ていた。

左のブースは、多分子供が障害を持っていて、その関係で相談か書類の提出だろう。
そしてその隣のブースには、割とガタイのいい男性が座っていた。

その男性と向き合って女性職員が対応していたが、その二人の会話に私の目が釘付けになった。

まずそのブースには、感音性難聴の私の友人から教えてもらったことのある、卓上型対話支援システムの『コミューン』なるものが設置されていた。
聴こえにハンデがある人、老人性で聴覚が衰えた人などを助けるアイテムらしい。
役所でも、少しずつ支援システムの導入が進んでいるのかもしれない。

⭐︎コミューンについてはコチラ→ https://u-s-d.co.jp

けれど、その二人には全くコミューンは必要なかった。
その職員さんは、バリバリの手話の使い手だったのだ。

二人は、私なんかには目にも止まらぬと言ってもいいほどの速さで手を動かし、マスクなど関係なく伝わってくる、体全体を使った表現の豊かさをもって会話を進めていた。

見ると一緒にどっと笑っている。
職員さんが謝って、男性が納得したように笑顔を見せる。
職員さんの説明に、大きくうなずいている。
二人の手は、ひっきりなしに動いている。

ところが、その会話は私にはわからない。
多分、その場にいた私以外も手話がわからない人の方が多いと思うし、その誰もが会話の内容もわからないと思う。

そんな中にも、笑顔で二人の話は進んでいく。
あれ?役所で話す内容だよね?なんか笑顔がいいよね?

何話してんだろう??

そこは役所なんだけど、私の中ではその空間が私とその二人だけに感じられた。
そして、二人には分かるその会話は私には分からない。

その時、完全にその空間の中はマイノリティが逆転していた。

私の友人は、人の中で聞こえない自分だけが会話に入れず、いつも孤独を感じると言っていた。
私は孤独は感じなかったけれど、あの笑顔を見てしまったら何を話していたのか知りたい気持ちになった。

いや、雑談ではないだろうから本来楽しくてたまらないような内容ではないだろう。
けれど、笑顔とは人を惹きつけるもので、その中の会話はついつい、自分も聴いてみたい衝動に駆られてしまうもののようだ。

それが役所での会話ではなく、友人や知人の中で感じたらどうだろう。そう考えると、友人の孤独は想像できる気がする。

人間は生活をする上で、どうしても多数派、少数派は生まれてしまうものだけれど、少数派が多数派に飛び込むよりも、多数派が少数派を受け入れる方がずっと容易い。

それは障害を持った人たち全般にも言えて、少数派の障害者が多数派の健常者に合わせようとしたり、それに近づく努力をするよりも、健常と言われる人たちが受けいれる方がずっと世の中は生きやすい。

そんなことを考えながら、多分、役所に滞在したのは10分ほど。
そしてそこで感じたこと。

コミュニケーションを取れることが笑顔につながることを、解っていたようで解っていなかった自分を思い知った10分間。

マイノリティもマジョリティもその境は無くならないだろうけれど、どちらも幸せで生きていくことが当たり前の世界になってほしい。

心からそう思わせてくれた10分間だった。