多分、彼は何気なく言ったのだと思う。

障害を持った我が子を、何はさておいても最優先にしなければならない私たちからすると、それは難しい話なのに、彼はその言葉をサラッと言ってのけて実際に行動に移してくれた。

そのことを思い出すたびに、今も私の心を温かくして、彼らのような支援者がいてくれることに対する感謝を忘れずにいられる。

あの何気ない一言は、障害者のいる家族にとって「明日も生きる」ことへの力をくれるものだと思う。

そして「きっと次もある」
そう思わせてくれた言葉だった。

そりゃあお母さんに行ってもらわねば!

支援者であった彼がそう言った。

当時、インフォーマルで運営されていた事業があった。
困った時に支援をしてほしくても、制度の中では支援が制限されてしまい、断られてしまう困りごとへの救済に関して、その施設は請け負い支援してくれていた。

ボランティアで構成され、困った時に子どもを預かってもらえる。日中も宿泊も支援してくれていた。
予約はなかなか取れなかったが、それほど親たちから頼りにされ、利用されてきた施設だった。

この施設のボランティアは、優秀な支援者として育っていった。
支援が難しいと言われる強度行動障害を持つ利用者に、真っ直ぐ向き合う支援者となっていた。
このことは、この施設を利用してきた親たち誰もが認知している。
それほど彼らのことを信頼し、託すことができると理解していたからだ。

我が家もその家族の中のひとつ、強度行動障害を持つ長男を預かってくれていた。
ただ、予約が取れないというのは他のフォーマルな施設と変わらなかった。

それでも我が家は、特に障害が重く難しいということで、なるべく月に1回の宿泊を入れてくれていた。
それほど、日々の生活に緊急性があるという解釈をしてもらっていた。
レスパイトという意味から預かってもらっていた。

けれど他にも利用希望者はたくさんいるわけで、月一回の利用以外には、なるべくお手上げ状態の緊急時や余程困った時以外にお願いすることはしなかった。

ある時私は、学生時代に大好きだったプログレッシブロックバンドの来日を知った。
なんせ昔のことで、そのバンドメンバーもかなりの年齢になっていて、最後の来日かもしれないということだった。

昔は音楽を聴くのはカセットデッキでカセットテープが定番。テープが擦り切れるほど聴いた彼らが来日してくる。しかも地元にやってくるなんて奇跡に近いかもしれない。

行きたいと思ったけれど、それは夢だと諦めていたし、むしろ贅沢な悩みだとも思っていた。
障害者の親が自分の楽しみのために、自分の子供を何処かに預けることは申し訳ないことだと思っていた。

私は彼の前で、はははと笑いながらボソっと軽く呟いたのだ。

「大好きなバンドが来日するんですよ。いやぁ、行きたかったなぁ」
ただの雑談だし、要求したつもりもなく。

でも彼は即座にあっさりとこう返した。
「そりゃあお母さんに行ってもらわねば!」

なぜ来日にこんな地方の都市にもやってきたのかわからないが、昔ヒットしていたとはいえ、今や絶滅したとも言えるプログレッシブの、しかもおじいちゃんバンドで会場が満席になるわけもなく、チケットは難なく取れてしまった。

本来息子と対峙していなければならない時間。
チケットは難なく取れても、それでも私にしてみれば奇跡。
彼らの支援のおかげでしかなかったのは間違いない。

自分のための時間をもらえるなんて!

かくして息子は彼らが預かってくれて、私は旦那と二人で会場に向かった。
こんな日が来るなんて。こんな日が来るなんて!

誰のためでもなく、自分の好きな音楽を聴きにいけることが、こんなに嬉しいと思えたのは想像以上だった。

会場の座席は埋まってはいなかったけれど、本当にコアなファンが集結していて、平均年齢かなり高めながらみんなずっと立ちっぱなし、しかもみんな歌ってる!
もちろん、私も。

テープが擦り切れるほど聴いた曲が生で聴けるとは。
少女だった頃の私に、将来背中を押してくれる人が現れて、本物の演奏を舞台のすぐ側で聴くことができるよ!と教えてあげたい。

本当に夢のような時間だった。
こんな時間を、息子を支援しながら私たちにプレゼントしてくれたのだ。

あの時間をくれて、ありがとう。
こうして私たちの想いに答えようとしてくれる人たちがいる。

そんな支援者たちがいることを、決して忘れない。

施設と彼らのそれからは・・・

施設はボランティアに支えられていたが、賃貸の一軒家であったことから運営が厳しく、ギリギリで運営しながらも先の見通しが難しくなったとのことで、惜しまれながら閉鎖された。
親たちは随分と困ったが、現実を受け入れるしかなかった。

そして支援者である彼らは、各方面に散っていった。

まだ施設が存続していた頃の施設長が「ここで育った子たちは、どこに出しても恥ずかしくない。どこにでも行って活躍してほしい!」と言っていた。

今は、きっとその言葉通りになっているんだと思う。
彼らと会えなくなったことは今も寂しい。
でも、彼らの活躍を想像するたびに私たちも頑張らなければと思う。

彼らはきっと、私たちのような家族に明日への力を届けてくれているだろう。

支援はただ介助、介護することではない。
そもそも福祉とは「心と生活を豊かにする」ためにあるものだ。
それは人の力でしか成り立たない。
全国にいる彼らのような支援者が、誇りを持って仕事ができることで、家族の明日も守られる。

人が人を支える仕事の尊さを、誰もが知ってほしい。
支えられている当事者として、心からそう思う。