千葉の長生村で事件が起きた。強度行動障害の息子を手に掛けた78歳の父親。探し続けたものの子供の受け入れ先はなく、コロナの影響をもろに受け、使える福祉の資源もない状態に陥る。母親も体が弱かったとの情報もあり、父親が子供の世話を一手に引き受けた中で、追い詰められた末の犯行だったと報じられた。
この事件を受け、強度行動障害の親たちで作った「クジラグループ」の中で口々に言われた言葉は「決して人ごとではない」の一言だった。
「もしどこかに相談していたら違ったかもしれない」
優しく心よせてくれる人たちが言ってくれた。けれど現実として、同じように子供の受け入れ先を探し続けている親たちには想像は容易い。
「多分、相談はし尽くした末だったのだろう」。
「クジラグループ」の母たちからよく語られるのは、お願いしてもお願いしても施設から断られ続けた話だ。
あるお母さんは「40ケ所近くから断られた」あるお母さんは「あと20件ほど断られたら考えると言われた」「もう入院先も無理だと言われた」そんな話がわんさか出てくる。
相談支援員の中には、伴奏しながら何とかしようと動いてくれる人もいるが、思い立った時に受け入れ先がすぐ見つかるということは、強度行動障害の場合はほぼ奇跡と言ってもいい。また実際に強度行動障害の人を多く受け入れている施設は定員に空きがなく、待機者は気が遠くなるほどの人数だ。
親や家族はジレンマを抱えるが、心ある施設や支援者もまた、ジレンマを抱えている。施設の不足、人材不足は福祉全体の問題点であり、逆にここが解決されると多くの問題は解消される。解ってはいるが実際は簡単ではなく、時間もかかる。

話は戻るが、子供を手に掛けるまでの間に父親は各所相談もしたと思われる。見つからない受け皿に、自分が子供を世話するしかないと覚悟をしたのだろう。何度も引越しを繰り返したようだが、最後は静かで家と家が離れた、福祉のサービスが充実しているとは言い難いのどかな場所に越して行った。
多分、その時に父親は決心したのだろう。高齢の自分がいなくなった先の世界を憂いたに違いない。同じく高齢で、とうに子供の対応ができなくなった母親に子供を託すことはできない。その時、全てを終わらせようと思ったのだろう。どれほど辛かったのか、悲しかったのか、想像を絶することであるはずのことが、同じ親たちには想像ができてしまう。
父親は「周りに迷惑をかけるのが一番嫌だった」と言った。実際に多くの親が同じ言葉を口にする。クジラグループの親たちからも多く聞かれるこの言葉が、いつの日か語られることがなくなる日は来るのだろうか。
謝り続けたという経験を、クジラグループの親たちもたくさん重ねてきた。あの相模原の事件で命を落とした利用者のお母さんが、子供が亡くなったことに「ほっとした」と言ったことが世間で一人歩きした。「親のために障害者は安楽死させるべき」と多くのコメントが集まり、生産性のない人間は存在価値がないという思考が蔓延る事態になった。
ところが、そのお母さんの次の言葉を誰も取り上げなかった。
「これで謝らずにすむ」
これが何を指しているのか考えてほしい。謝り続けた先はどこだったのか。問題は命を落とした子供だったのか、それとも?
植松死刑囚は、この事件について親のためになった、迷惑でしかない子供がいなくなって、親たちは喜んでいるだろうと言った。
しかし子供に手を掛けてしまった父親は、決して喜ぶこともなく今も苦しんでいると言った。「子供が迷惑を掛けている」と思い続けいていた先は、自分たちの暮らす周りを指していて、親自身に対してではない。
体を挺して子供を守り続けても、自分の老いに先を失ってしまった。
この事件は、多くのことを訴えかける。しかも、これからも同じような事件は起こり得る。子供の死を喜ぶ親などいない。ましてや自分の全てを賭けて守り続けた子供であればなおさら。
ただ、私はまだ絶望はしていない。なぜなら福祉の抱える問題に向き合い、解決のために動いている人達もたくさんいることを知っているからだ。
そのことを忘れず、諦めず、これからに希望を持って自分たちのできることを続けながら、福祉が進んでいくことを待ちたいと思う。
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