ある日バスに乗っていると、途中のバス停から中学生くらいの男の子が乗ってきました。彼は、私にとっては見慣れたイヤーマフをしていて、バスの中ではちょっと浮いた感じの子に見えました。

なるほど〜、聴覚過敏なんだね。自分を守るためのアイテムだよね。

一般の人は、イヤーマフの存在はあまり知らないかもしれません。ヘッドホンのようにも見えるので、公共機関の中で少しマナーが悪いのでは?なんて思われてしまいがちです。

実は、イヤーマフの役目は音楽を聴くことではなく、むしろ音を遮断すること。周りの音が、できるだけ聞こえないようにするために、耳に蓋をするという感じです。聴覚過敏を少しでも軽減することで、精神的にも安定できるようにするアイテムです。

ならば小さな耳栓でいいだろうと思うかもしれませんが、耳の中に何かを入れること自体、嫌な子も多いのです。

そんな彼が手に持っているものが、私にもチラリと見えました。それは、障害児が持っている療育手帳でした。

彼は一人でバスに乗れているので、介助を必要としない程度の、中軽度の障害を持っているのだろうと思いました。療育手帳は、バスの割引のために持っているのだと、すぐにわかりました。

彼は、バスの中で少し貧乏ゆすりのような小刻みな足の動きを見せていました。バスの中で、自分を落ち着かせようとしているのかな?

しばらくすると、小さく体を前後にゆらゆらし始めました。だんだんバスも混んできたし、大丈夫かな?

気づけば、私は彼の行動を、彼の随分と後ろの席からずっと見続けていたわけです。

彼にしてみれば、混んできたバスの空気に、一生懸命に対応しているようでした。頑張って、平静を保とうとしてるのだろうと感じました。

「うんうん、見知らぬ君!頑張っている君!おばちゃんは見守っているよ!」

彼は運転手さんの真後ろに座っています。かたや私は後ろのドアに近い席。それでも、人の垣根の向こうにいる、彼の姿をずっと目で確認していました。

ある意味ストーカー化してしまった私は、彼がどこまで行くのか気になりました。

一人で何をしに行くのかな?服を買ったり、美味しいものを食べたり、楽しい時間を持てればいいなぁ。

そう考えていると、終点から一つ手前のバス停についたところで、彼はバスを降りました。実は私も同じバス停で降りました。

彼の向かう方向だけは確認できるな?降りる場所は間違ってなかったかな?心配しながら立ち止まって、彼がどこかに向かうかを目で追っていました。

すると、彼はバス停近くの郵便局に脇目も振らずに入っていきました。私は、彼が郵便局の自動ドアから中に入るまでを確認し、すっかり安堵してしまいました。

よかった、多分降りるバス停は間違ってはいなかったんだろう。ちゃんと最初の目的地には行けたんだ……そう思って、今度は自分が自分の目的地に向かいました。

彼はバスを降りるときも、ちゃんと療育手帳を提示して、ちゃんとお礼まで言っていました。その姿を見て、偉いぞ偉いぞ!と心の中でつぶやきました。

大人たちが何も言わずバスをサッサと降りる中、彼は「ありがとうございます!」としっかり言えたんですから。

ちょっと足が浮いたような歩き方をして、けれどちゃんと信号を守って、横断歩道を渡った先の郵便局にまっすぐに入っていきました。

ご両親に「息子さん、偉かったですよ、頑張りました!」と伝えてあげたい気分になりました。

知りもしない、交流もない、そもそも面識すらない彼への一方的な私の行動は、なんの意味があるのかと言われてしまいそうですが、自分の子供に障害があると、ついつい他人の子供も心配してしまいます。

でも、案外そんなお母さんは多いような気がします。まぁ、私のようにストーカー化するかどうかは別として。

ただ、これは無言の見守りと言わせて頂きたい。

私は思うのです。この無言の、誰も知らない小さな見守りは、大人が子供を守る上では一番効果があるのではないかと。

街行く人たちが、口には出さなくても、気になる子供を見かけたとき、そうやって誰も知らない小さな見守りをすることで、たとえ短時間でも、結果リレーのように引き継がれながら、子供たちが大人の誰からも守られて安全に過ごしていけるなら、悲しい事件も少なくなるんじゃないかなぁ。

障害児も、障害のない子でも、大人の無関心が一番子供たちを危険にさらすようにも思えます。

大人の誰もが、ちょっと気になる子がいたら、その子の一瞬を見守る……そしてたくさんの大人たちが、居合わせた場所でリレーのように見守る……大人の心がけ次第で、すぐにでもできると思うんだけどなぁ…..。