これは昔、私が義母から聞いたお話です。
それは幼い頃の義母が見た、当時の時代という中に生きた人たちの悲しい一場面。
こどもだった義母は、それが何なのかわからないままに育ち、障害を持った孫との出会いでその意味を知りました。
『いつも不思議だったんだよ。だから、ある日こっそり覗いて見てみたんだ』
私にそう語り出した義母。その中身はこうでした。
こどもの頃、道端で遊んでいると、とあるお屋敷の家に不思議なものを見つけた。
それは道路とあまり変わらない高さにある、窓のような物。
それにしてはおかしな高さの位置にあるし、一体なんの窓なのか・・・。
知りたくなった義母は、その窓のところに近寄り覗いてみた。
すると、そこは奈落のようになっていて、目を凝らしてみると、そこに女の人がひとり座っていた。
ご近所だけど見たこともない女の人。しかもその奈落には、他には誰もいない。
印象的だったのは、その女の人がとても綺麗な着物を着ていたということ。
こどもの義母は、ただ綺麗な着物を着た女の人が、家の中に一人で座っている、という場面を確認すると、また遊びに戻った。
ここまで私に話しながら、義母は最後に一言こう言いました。
「あれがいわゆる、座敷牢だったんだろうね」
綺麗な着物の意味
その昔、家族に障害者がいると「家の恥」と言われていた時代。障害があると、外も歩けない理不尽な時代がありました。
きっと昔だって理解ある人たちもいたと思います。けれど、世の中の風潮がそうであると、時に家族は自分だけではなく、障害を持ったこどもの兄弟や親戚を守らなければならず、理不尽を受け入れざるを得なくなるのでしょう。
こどもを産んだ母親は、どんな立場に置かれていたのか、想像を絶するようなことだったのか、そのような記録を目にしたことすらありません。
ただ、義母が見た女の人の「綺麗な着物」に、私はあるひとつの想いがよぎりました。
それは親としてなら当然のように湧き上がる想いでもあります。
これはあくまでも想像の域を出ません。でもきっと当たっているだろうと思います。
世間には表に出すことができなかった娘。けれど、親として本当は他の子供たちと同じように、お日様の下で家族みんなで過ごしたかったのではないでしょうか。
けれどそれが許されないのであれば、せめて着物くらいは綺麗で似合う、良いものをしつらえて着せたい。それがせめてもの償いであり、親心だったのでしょう。
もし、障害があることで邪魔な子供とされていたのなら、金額が張り、着せるのも扱いも手間がかかる着物を与えるなど、そもそも思い当たることすらないでしょう。
それでも今は全く違うと言い切れるだろうか
今は時代も変わり、障害を持っている子たちも外に出て、教育も受けられる時代になりました。
ひとりの人間を地下室に閉じ込めるなど、虐待として今は逮捕されることだってあります。
綺麗な着物を着たその女の人が、今の時代に生きていたらどんなによかったでしょう。
けれど、今の時代は昔とは全く違う、と言い切れるのでしょうか。
実際、障害児が生まれることにより母親が責められるのは、まだこの時代でも起こっていることです。
私も何度も経験しているし、周りからもよく聞く話でもあります。
外に出て活動していても、こんな子がうろうろしていたら安心して外に出ることもできない!と言われたという話も、思いの外たくさん聞きました。
外で遊ばせると迷惑がられ、人のいない公園や山の中、雨の日の広場などを選んで子供を遊ばせるという話は、本当にたくさん聞く話です。
見えない壁が座敷牢のように、障害を持った子供とその家族を閉じ込めてしまうのは、昔と変わらないとも言えるのではないかと思うのです。
ただ昔と違うのは、理解してくれる人たちは確実に増えてきたということ。
理解者が増えて、その輪がどんどん広がることで、今度こそ座敷牢があった時代とは「全く違う」世の中になるのではないかと思います。
そして、理解してくれる人たちの輪を広げるためにも、子供たちはどんどん外に出て、親たちが周りの理解のために「伝える」という行動をしていくべきなのだろうと思うのです。
そして忘れてはいけないと思うのです。
昔、座敷牢というものがあったこと。
そして、それを作ったのは「本当は」だれだったのかを。
2022年4月21日 at 9:48 PM
こんばんは。私は長男が重度知的障がい自閉症です。私は音楽療法を学びながら子供達を療育してますシングルマザーです。 私は63才です。産まれ育ちました繁華街に藏が、ありました。
男性ですけど閉じ込められていた髭もじゃの方が、おりました。
私も差別や息子の行動を非難されて
大変です。
なんとか生きやすくさせたいです。
2022年5月1日 at 11:02 PM
丸子さま。
お返事遅くなり、申し訳ありません。
私の義母は昭和15年の生まれであり、その子どもの頃の話なのですが、丸子さんはそれより随分後、私とさほど年齢は違わないのに、そんなことがあったのですか。
髭もじゃの男性の人生はどんなものだったのか、想像するしかできないものの、胸が締め付けられます。
けれど、座敷牢という言葉も消えつつある現在であっても、人の壁がご本人や家族を精神世界で閉じ込めてしまうのは、未だ持って現実としてあります。
誰もが生きやすい世界とはどんなものなのか。
人の壁がない世界を実現するためには、どうすればよいのか。
障がいの理解を広げていくことの難しさも、時に痛感することもあります。
それでも理解してもらえるように、伝え続けるしかないとも思っています。