お正月気分もそこそこに、子ども達の中にはその先の春を迎えるまでには、多くの“よいしょ”と飛び越えなければならない壁があったりします。

その先にやってくるもう1つの年明け「年度」という始まりに、一体どんな自分になっているのか……それまでは何だか、試されるような時期なんですよね。

卒業で区切りを知る

自分自身も、いわゆる受験期から年度始めに至るまでを思い出しても、ぼんやりと何ともな記憶で、あら、ちょっとその辺りトラウマってる? なんて思ったりして。でも、その何ともな時期を過ぎると、なぜだか今度は開き直ってしまう時がやってきます。

「卒業」って、そんな空気ありませんか?それが「これで区切り!」と知らしめるようなものだと思うんですよね。

卒業式も当たり前じゃないんだ

次男が中学2年生の時、部活の先輩の卒業を学校の門の前で祝おうとしていた時のこと。空にはなんと! ブルーインパルスが飛んでいたんです。その年はちょうど九州新幹線の開通の年で、当日のアトラクションで華麗なショーを披露するための訓練の飛行が、この地域からもバッチリ見えたんです。

その卒業式終了直後に東日本大震災が起き、翌日の九州新幹線の記念イベントは中止となりました。翌年の3月、次男は卒業を迎えたわけですが、何とも感慨深かったのを覚えています。

震災で卒業式もできなかった子ども達がたくさんいたはず。こうして普通に卒業できるのも、本当はすごいことなんだよなぁ……と。

先生と吃音

次男の中学3年生の時の担任は、次男の所属していた野球部の監督でもありました。時間さえあれば、先生はしょっちゅう生徒達を呼び出して作戦会議をしていたようです。

実は区内最下位だったチームは、先生が監督になってから、あっという間に強豪校と呼ばれるまでになりました。体が小さく、強いチームにはとても力では敵わないので、頭を使って戦うしかなかったんです。次男は、配球を任されるキャッチャーという役からも、先生から多くのことを学び、試合を作る面白さを教えてもらい、作戦会議は楽しくてしょうがなかったようです。

教室でもグランドでもとんでもなく全力投球、とてつもなく厳しく、とてつもなく優しい先生は、今もその精神のままで別の学校でも生徒に檄を飛ばしているとのこと。

先生は、子ども達にも保護者にも、自分が子どもの頃から吃音であったことを公表されていました。あまり気になったことはなかったのですが、出し辛い音があるらしいのです。

吃音であったために、自分に合った職業がなかったとも言われていました。吃音の人の苦労は、就職にも及ぶものなんですね。

けれど、先生に対してそんなことを思っている生徒はいなかったでしょう。先生は、やはり一番合った職業に就かれたんだと思います。

なんせ、それを裏付けるような場面を、卒業式の日に親達も目の当たりにしたんですから。

言葉じゃないコミュニケーション

生徒達は壇に上がり、卒業証書を一人一人校長先生から渡されます。その渡される生徒の名前を壇の下から読み上げるのが、クラスの担任の先生なんですね。多分、先生はあの独特な雰囲気の中、相当気を遣いながら読み上げていたに違いありません。

そして、とうとうやってきたんです。

きっと最初の名字の音が発音し辛かったんでしょう。先生は何度も口を動かすのですが、なかなか音が出てこない。

その時、その名前の生徒が驚くほど柔らかい表情で、先生を見つめながら小さく首をコクコクと縦に動かしたんです。その後ろに並ぶ生徒達も、気持ちが首に伝わったかのように、本当によく見ていないとわからないほどに縦に振っていたんです。

声に出していないのに

「待つよ!」

と生徒達の声が聞こえてきたような気がしました。先生と子ども達の間には、そんな会話がいつも成立していたのかも知れません。もう信頼とかは飛び越えて、言葉では表せない何かがあったかも知れない。

その時、これを経験してきた子ども達は幸せだなぁ……と。先生もきっと……そう思えた私も、温かい気持ちになりました。

その場面が何度かあって、次男のクラスの証書授与は、少々時間が掛かりました。良い時間を、ちょっと長めに見守る事ができてよかったなぁ。

これからの子ども達

先生と生徒達の間にあった「吃音」が独特のコミュニケーションをもたらしたのは、日々の心の交流の賜物だったのでしょう。

その中にいられた子ども達に、今度は吃音に変わる言葉ではないコミュニケーションの何かを得てくれたなら……そんなことを思ったりするわけです。