障害の特性を抱えている子どもを育てている親達は、度々「父親」「母親」という役割の重さを思い知らされる場面に遭遇する。
それは子ども自身の姿や行動からのように見えて、実はその向こう側にあるプレッシャーによることが多い。

実際、私自身がそうであったように、お父さんやお母さん達からの疲弊した声が私の元にも届く。

子どもの向こう側にあるものとは何か。
親達の辛さが、少しでも軽くなるための方法はないものだろうか。

「ねばならない」の呪縛

特に子どもが小さい間は、親がよく周りから言われる言葉がある。
「お母さんが頑張らないとね」

母親は「子供にとって」賢い教育者であり、療育者であり、親子ともに周りに迷惑を掛けない存在でなければならない。

「子供にとって」・・・というが、それらは本当に子どもだけに向けられたものだろうか。

言葉が出なければ親が声を掛けて教え続け、トイレや顔を洗うことができなければ自立に向けて親が努力する。食事はバランスよく、好き嫌いが減るように調理に気をつけて、道具を使って食べることができるように指導する。

誰にとっても「当たり前のことだ」「頑張れ」と言われる。けれど、周りが思っているほど、私たちの子どもは上手くはいかない。

ひとつ教えるのに丸一日かかって、結局できなかったなんてざら。何度やっても失敗が続き、頑張って頑張って、親が子供に掛かりきりで指導して、子供は辛くてもそれに応えようとするものの、結局パニックを起こしてしまったりする。

ご飯は箸で食べることができなければならない、トイレは自立しなければならない、遊びも知能が上がるものを選択しなければならない、親がしっかり文字も言葉も教えて、書いて話すことができるようにならなければならない。

そうすれば、ちゃんとできるようになると言われる。でも上手くいかない現実に親は打ちのめされる。

親は頑張っていないわけではない。むしろ同じ年頃の子ども達よりも発達が遅れていることを最も間近で見てきて、何事も必死になる。
それでも「頑張れ」という声は外から聞こえてくる。頑張っても頑張っても許してはもらえない。

子供ができるようにと親が頑張っているのは本当のこと。でも、それよりも子どもの向こう側にあるものが、親達を「頑張る」というワードに駆り立てる。

周りに迷惑を掛けてはいけない。周りの子ども達と同じでなければならない。
けれどそれは難しいから、子どもを公園で遊ばせたいが、迷惑を掛けるからと我慢させる。
どうしても遊ばせたい時は、夜の公園に、雨の日の公園に、人がいない山や広場に連れ出す。そうでなければ、朝、昼、夜、夜中だってドライブをすることもある。
人を避けて過ごすことが当たり前だったりする。

子どもの向こう側にあるもの。それは「人に迷惑を掛けてはいけない」というプレッシャー。何かが起こってしまった時に、周りの反応や言葉が怖くなってしまうこと。

そうして周りの期待や忠告に応えられないことに、成長がゆっくりな我が子を責めているようで、結局自分自身を責めてしまう。

けれど「助けて」と言えない人たちは多い。自分がなんとかしなければ・・・そうして疲弊していく人は本当に多い。

「ねばならない」という呪縛がもたらす影響は、こんなにも大きい。

けれど本当に許してくれないのは?

私は長年、息子の記録を撮り続けてきた。それは前回の記事でも紹介している。

今回、これらの記録を時系列でまとめ、ファイリングする作業を行ったが、ざっと目を通しながら多くの場面を思い出すこととなった。

自分でも驚いたが、忘れていたことも多かった。息子がとんでもなく凄まじい問題行動を起こし、あんなにも私の心を粉々にしたエピソードを忘れていたなんて、時間というものは凄いなと思った。

さらに時が経ったと感じたのは、当時は辛くて泣いてしまうほどだったのに、今は思い出しながら、笑って当時のことを話せるようになったことだ。

けれど、あの時も、あの時も、私は必死だった。命をかけていた。頑張った。本当に頑張ってきた。

本当は自分で自分を許せずに、もっと頑張ろうと思ってきたんだと思う。
できなかったことの方が多かったけれど、全く上手くはいかなかったけれど、でも親子で頑張ってきたんだと記録が教えてくれている。

全くのお手上げ状態の時から、少しずつ支援者が集まって、支援者も苦労して頑張ってくれたこと、諦めずに関わり続けてもらったこともしっかりと記録に残っている。

助けてほしいとやっと言えた日から、孤独ではなくなった。周りに助けてもらいながら頑張ってきた。

「そろそろ私は、私を許してもいいんじゃないか?」

自分を許していなかったのは、本当は自分自身だったのかもしれない。

十分に頑張っていると認めてほしい

私の周りには、親だからと孤独に頑張っている人たちがたくさんいる。助けてほしいと声に出せずに、親が最後まで頑張ることが当たり前だと思っている。

実は孤独であることが一番辛いのだと思う。周りに「助けて」「手伝ってほしい」と言葉にすることは、決して悪いことではない。

私が出会った人たちは、誰ひとり頑張っていない人なんていなかった。だから、そろそろ自分を許してあげてほしい。

そして彼らの住んでいる地域の皆さんに、彼らが頑張って生きて、ここで暮らしていることを知ってほしいのです。

彼らが呪縛から解放されるように、豊かな暮らしが叶えられるように、温かく見守ってほしいと、心から願っています。